6月3日(土)の丸山小学校開校150周年記念式典がいよいよ近づいてきました。先日の校長講話で、「丸山小150年の歴史」を児童に向けて話しました。子どもたちが丸山小150年の歴史をできるだけ理解した上で、記念式典に参加してほしいという願いからです。

以下は校長講話のおよその内容です。

 

明治6年、羽場区に「明倫(めいりん)学校」が建てられたのが丸山小の始まりとされています。小学校4年生までが通う学校でした。明治9年には、「上飯田学校」、明治33年には、「上飯田尋常高等小学校」となり、5,6年生までが通う学校になりました。

明治44年には、上飯田尋常高等小学校の新校舎が、今の場所に建てられました。大正15年にも新校舎が建てられました。このときにはすでに、今も校門にある門柱が4本立っています。

昭和12年に上飯田町と飯田町が合併して飯田市になりました。そこから名前が上飯田尋常小学校となります。昭和15年には、「丸山尋常高等小学校」になり、初めて校名に「丸山」がつきました。その後戦時中は、「丸山国民学校」となります。戦後になって昭和22年4月、飯田市立丸山小学校になり、今に至っています。

また、戦時中の昭和19年9月から終戦の年まで、東京都世田谷区立八幡国民学校(現在の八幡小学校)の児童340人が丸山小学校に集団疎開に来ていました。集団疎開というのは、都会で空襲が激しくなったため、安全な田舎に学級の友だちと一緒に移り住んで学校に通うことです。丸山町にある阿弥陀寺にも多くの児童が寝泊まりしていたそうです。戦争が終わると疎開していた児童は、東京に帰っていきました。この八幡小との交流については、また150周年記念行事の交流会で詳しくお話します。

さて、丸山小の児童が一番多かった時には、学校全体で何人くらいいたでしょう。

昭和20年、21年には2181人の児童がいたという記録が残っています。全校40学級で、1クラスに約55人の子どもがいたということになります。今ではちょっと考えられないですね。

昭和47年から49年には新校舎に建て替えられました。これは私たちが日頃使っている現在の校舎です。昭和49年10月には新校舎ができた事をお祝いする式が行われました。そして11月には、丸山小学校100周年記念式典が行われています。今回の開校150周年記念は、昭和49年以来の記念行事になります。その後平成元年に体育館が建て替えられ、現在の丸山小の形になっています。

私たちは、ちょうど150周年という記念すべき年に丸山小に在籍しています。丸山小の一員であることに、誇りと感謝をもって6月3日の記念式典を迎えましょう。当日はしっかりお話を聞いたり、見たりしてみんなで丸山小の150周年をお祝いしましょう。楽しみにしていてください。

 

 

当日は、10時30分から体育館で行われる交流会が一般公開となります。

写真展が当日の11時30分から丸山小プレイルームで行われます。

翌日4日の午前9時から午後4時まで写真展を見ることができます。

多くの皆様のご来校をお待ちしています。